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今夜の番組チェック

              2002年11月12日

貴方は冷静に観ましたか? それとも情熱で?ブロックバスターから学ぶ               

普昨年大ブームとなった『冷静と情熱の間』を観た。テレビで。ずばりこれは、竹ノ内豊とケリー・チャンを見る映画である。2人とも、期待に応えるべく美しい。大画面に耐えうる顔だ。

とは言え、スターといい予算規模といい、国内版ハリウッド映画である。映画を分析するように、物語性、構成、編集、登場人物間の関係、音楽などを語ろうとしても、無理だ。結局は、竹ノ内かケリー・チャンに感情移入し、一度くらいは泣き、エンヤのCDを買いたくなっちゃう、そういう映画なのだ。

でも1つ、分析できる場面があった。東京の順正(竹ノ内)から手紙をもらったあおい(ケリー・チャン)が、とある午後ミラノの街中でコインを片手にテレフォンボックスへ向かう。コインを入れ、電話をかける。東京は真夜中、順正は受話器をとる。だが言葉の出ないあおい。順正は、しばらくの沈黙の後、「……あおい?」と聞く。だが、あおいは何も言わずに電話を切ってしまう。そして、テレフォンボックスのなかで泣き崩れる。ここでのポイントは、音声があおいの泣き声ではなく、同時に振り出した激しいにわか雨に切り替わることである。つまり、観客はあおいの悲しみを「聞く」のではなく、「見る」ことになる。涙も雨も、似たような物質だ。あおいの感情の激しさが、わめき声によりわざとらしさを醸し出すことなく、ザーっという自然の音でかき消され、まさに「視界がにじんでしまう」のである。ここに、映画の醍醐味がある。

画面で表現できる、というのは素晴らしいことだ。今まで多くの映画作家が、スクリーンを効果的に、ときには逆説的に使ってきた。例えば、ある映画では「スターへの階段を上り詰めたい」なんて言いながら、らせん階段を下りる人物の描写がある。ストーリー的には、「上りたい」人が「下って」いる、つまり望みがないことを表現している。しかもらせん階段だから性質がわるい。ドツボにはまり、抜け出せないのである。この人物が堕ちていくことを、セリフでは一言も示唆しない。しかし、画がそう物語っているのである。

そんなわけで、単純な演出ながら、雨音のシーンにより『冷静と情熱の間』は時間の無駄にはならなかったのだった。


(タナカノアガキ)
この映画、実はほかにもいいところがあります。ひとつはロケハン頑張ってます。フィレンツェをはじめとするイタリアも然ることながら、順正のアパートや下北沢なんかもいいです。もう1つは、“10年前”の設定の順正とあおいがサイコー。順正の微妙に色落ちしたジーンズ、あおいのセーラームーン的髪型、すべてが90年代! 愛すべきスターたちが恥を捨てて演じた姿は、必見です。また、その空気の質感をフィルムがうまく捉えていました。最後に、当たり前ですがケリー・チャンの英語うまいです。国際派スターはこうじゃなくっちゃ、と思わせてくれます。
ファラウェイ、ファラウェイ…♪


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